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コルネリウス (ローマ教皇) : ミニ英和和英辞書
コルネリウス (ローマ教皇)[すめらぎ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
教皇 : [きょうこう]
 (n) Pope

コルネリウス (ローマ教皇) : ウィキペディア日本語版
コルネリウス (ローマ教皇)[すめらぎ]

コルネリウスCornelius, ? - 253年6月)は、ローマ教皇(在位:251年3月6日/13日 - 253年6月)。
前教皇ファビアヌスの死から14ヶ月の空白を経て、コルネリウスは251年3月に教皇に選出された。この時期はデキウス帝の激しかった迫害が小休止している時期であった。コルネリウスの選出に対して激しく反対したのはノウァティアヌスとその一派であった。その理由は大罪のゆるしについて、コルネリウスらは司教であれば、殺人、姦通、背教といった大罪もゆるすことができると考えたが、ノウァティアヌスは人間にはその罪をゆるすことができず、最後の審判でのみ裁かれると考えたのだった。神学者キュプリアヌスの支援によって、なんとかコルネリウスは教皇職につくことができ、ノバティアヌス派はローマを追われたが、自らの正当性を主張しつづけた。
2年間の教皇職在位の後、トレボニアヌス帝の迫害によってチェントゥリチェッレに追放され、そこで死去した。カトリック教会聖人であるコルネリウスの記念日は、キュプリアヌスと同じ9月16日であるが、それは彼の殉教の日ではない。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「コルネリウス (ローマ教皇)」の詳細全文を読む




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